2014年5月29日

「知らなかったなぁ・・・。」

「大きな葬儀になるから」
集まられた皆さんから言われる、
そういう納棺がある。
社会的な地位や、名誉のある方が、
葬家である場合。
納棺の時間には、本音が出る。
「本当は、静かに過ごしたい。」
役があるのも、大変なお立場だと言う。
「実は私、色んな役員をしています。」
納棺終了後に、
喪主さんに話し掛けられた現場があった。
「子どもを亡くす気持ちが、
こんなに辛いなんて知らなかった。
今まで、沢山の葬儀に出て来たけれど、
軽々しく言葉を掛けて、
慰めた気持ちなんかになっている自分が、
馬鹿だった。情けない。
なんで、もっと、
人の気持ちを知ろうとしなかったんだろう。」
そう、おっしゃった。
悩んだり、
考えたり、
苦しんだり、
後悔したり、
振り返ったり、
その感情が教えてくれることって、
実はいっぱいあるんだと思う。
それは、大好きで、
大切な存在である、
対象が無いと起きない感情。
だから、その深さの分、
大切だった証拠。
悲しみが深いほど、
人は表には出さないように、
それを隠して生きている。
表の顔と、
そうじゃない顔があって、人だと思う。
納棺の時間は、
そうじゃない顔が、そのまま出る時間。
だから、私は、
その人の表の顔を知らないことが多い。
そこで教えてもらえることは、
悲しみを知っている人は、
誰一人、悪い人は居ないということ。
そうじゃない顔は、
人の気持の深さを教えてくれる。
私は、そういう現場で、
力をいっぱい、いただきます。
後悔して、
振り返っている人ほど、
本当の優しさを持たれている。
そういう人には、
又、その方を支える、
素敵なネットワークが出来るのです。
じゃぁ、何が怖いって、
そうじゃない人が、一番怖い。
現場でお年寄りが言います。
「死んだ人より、
生きている人の方が、
よっぽど怖いわぁ!」
言葉に出して言わないけれど、
心の中で、
本当だ、本当だ。
同感だ!の、気持の私でした。