「知らなかったなぁ・・・。」
「大きな葬儀になるから」
集まられた皆さんから言われる、
そういう納棺がある。
社会的な地位や、名誉のある方が、
葬家である場合。
納棺の時間には、本音が出る。
「本当は、静かに過ごしたい。」
役があるのも、大変なお立場だと言う。
「実は私、色んな役員をしています。」
納棺終了後に、
喪主さんに話し掛けられた現場があった。
「子どもを亡くす気持ちが、
こんなに辛いなんて知らなかった。
今まで、沢山の葬儀に出て来たけれど、
軽々しく言葉を掛けて、
慰めた気持ちなんかになっている自分が、
馬鹿だった。情けない。
なんで、もっと、
人の気持ちを知ろうとしなかったんだろう。」
そう、おっしゃった。
悩んだり、
考えたり、
苦しんだり、
後悔したり、
振り返ったり、
その感情が教えてくれることって、
実はいっぱいあるんだと思う。
それは、大好きで、
大切な存在である、
対象が無いと起きない感情。
だから、その深さの分、
大切だった証拠。
悲しみが深いほど、
人は表には出さないように、
それを隠して生きている。
表の顔と、
そうじゃない顔があって、人だと思う。
納棺の時間は、
そうじゃない顔が、そのまま出る時間。
だから、私は、
その人の表の顔を知らないことが多い。
そこで教えてもらえることは、
悲しみを知っている人は、
誰一人、悪い人は居ないということ。
そうじゃない顔は、
人の気持の深さを教えてくれる。
私は、そういう現場で、
力をいっぱい、いただきます。
後悔して、
振り返っている人ほど、
本当の優しさを持たれている。
そういう人には、
又、その方を支える、
素敵なネットワークが出来るのです。
じゃぁ、何が怖いって、
そうじゃない人が、一番怖い。
現場でお年寄りが言います。
「死んだ人より、
生きている人の方が、
よっぽど怖いわぁ!」
言葉に出して言わないけれど、
心の中で、
本当だ、本当だ。
同感だ!の、気持の私でした。
Posted on 2014/05/29 01:01 by 桜 代表