2013年5月28日

「からこそ」、分かること

納棺の時間には、「からこそ」と言う言葉が多く飛び交います。「病気になったからこそ」、「家族を亡くしたからこそ」、「今の気持ちだからこそ」など、その後に続く言葉は「だからこそ、分かる事がある。」「だからこそ、理解出来た。」「だからこそ、気が付いた。」と、今のありのままを受け容れる時間を皆さんがとても大切にされています。今の「精一杯」が、亡くなったご本人に向けた気持ちなのだと、お話しして下さいます。全部を受け容れなくても、一部を否定していても、拒否していても、それは今の精一杯だから、それはその方の人生の中の大切な今だから、私は良いと思います。時間は平等に流れる中で、出逢いと別れを繰り返して、人は様々な事を感じ、悩み、考えて生きるのだと思います。そこで何に気付き、得て、糧にしてそれを積み重ねて生きるのか、一人一人感じる価値観はみんな違うわけだから、答えはそれぞれで良いと思います。葬儀終了後の遺族訪問に伺った時、ご遺族に教えてもらったことがありました。「急死だったから、みんなが心配してくれるのはよく分かる。だけど、自分が人の意見に振り回されていたことに気が付いた。結局、色んなことは言われるけど、私の人生の責任は誰も取ってくれないし、自分で責任を負わないといけない。当然の事だと思うんです。世の中の理屈にはもう、流されないと決めました。みんなが同じくなる必要もない。自分は自分で良いと思った時に、こういう経験をしたからこそ、何よりも、何も言わずに、何も責めずに、傍に居てもらえれる存在が嬉しかった。今まで気付かなかった有難さに気が付いたのよ。」と、教えてもらった時間がありました。とても心配していた方だっけど、人ってすごいなぁと思った時間の流れでした。その次に伺った時には、「世間に流されないって言ったけど、やっぱり特売とか限定品に弱い自分が居て、世間に流されると言うよりは、どっぷり世の中に生きている感じ(笑)でもね、殻を破った感じがするのね。人の意見に振り回されなければ、全然疲れないよ。」と、おっしゃっていて、二人で笑いました。縁側で話す会話は、とても解放的で、納棺の当日はここから出入りさせてもらっていたのだけれど、同じ場所で、あの時には想像もつかなかったご遺族との今の会話を、何よりも大切にしたいと思った時間でした。私も、この世界に飛び込まなければ分からないことは沢山あったし、参加型納棺を立ち上げなければ気が付かない事も沢山ありました。見落として居ないか、聞き逃さなかったか、ご遺族の気持ちに気が付けたかと、納棺の時間に気を張る気持ちがあるからこそ、ご遺族と心通う事に巡り合えたのだと思います。毎日が学びですが、それが生きると言う事なのだと思います。ちなみに、特売と限定品は私もちょっと気になります(笑)特に、テレビショピングは夢中になって「わ〜‼」とか言って、拍手したりしてしまうし(笑)電話の前で受話器を持ったまま「いやいや、今は必要ないだろう」と自分に言い聞かせて受話器を置くこともあります(笑)そんな自分に、「頑張れ」と励ます事もあったりします(笑)今日の夜は子ども夢ハウスの吉山君と沢山お話しして、色々情報交換して、よし、夏は九州の野尻先生が来て下さる予定だから、みんなで少し泊まり込もうかなと、決意した夜でした。子どもさん達の動きが少しずつ出て来たので、6月は1日に夢ハウスに行って6月とそれ以降の予定を相談して来ようかなと、思っています。本当に全国の皆さまのご支援に、心から感謝申し上げます。ありがとうございます。