2014年3月11日

洋野町東日本大震災復興講演会 講演

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洋野町は、岩手県と青森県の県境にあり、県北に位置する、岩手県の被災地の一つの町です。津波は10mを超え、漁港も被災しましたが現在は復興が進み、特産であるウニの稚魚(ウニ⁉︎)も6〜7割は震災前の状況に戻ったそうです。生き物が相手なので、完全に戻るまではあと、2〜3年掛かる見込みとのことでした。毎年夏の7月に行われる洋野町のイベントのウニ祭りでは、県内外から二万人以上の方が集まるそうです。サーファーが集まる町でも有名です。皆さんも是非、遊びに来て下さいね。

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写真は、洋野町の防潮堤です。明治と昭和の津波を経験した後、甚大な被害があった地域に、この防潮堤が造られたそうです。特徴は、景観が損なわれないように配慮されている所でしょうか。東日本大震災では、大津波がこの防潮堤の一番上のギリギリまでは来たけれど、防潮堤を超えなかったと伺いました。今回の波が、この地区は15m以上で、20mを超えた波であれば防潮堤を超えていたかもしれないと教えてもらいました。リアス式海岸と言う特徴を持つ地形は、地域により津波の高さも異なることが多くあります。

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死者、行方不明者は0の洋野町。もちろん、津波による被害で家屋や、産業への大きな被害がありました。昔人から語り継がれる津波の話は、津波の到達時間までの30〜40分の判断時に「津波は怖い」と言う語り継ぎが、防災意識の高さと行動に現れたと、町の人たちが話してくれました。昔の人たちが経験したことの、怖さや悲しみの、生活を大きく変えてしまう嘆き、その記憶と共に生きてきた大切なお話。これからの未来を考えた時に、話せる人が語り継ぐことが、どれだけ大切なことなのか・・・と言うことを深く教わった時間でした。

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けれども、兄弟などの身内や、友人知人を他の土地で、東日本大震災で亡くした人たちは洋野町にも多くいらっしゃるそうです。洋野町出身の行政や消防、警察官などの殉職された方を思い続ける町の人たち。洋野町役場で企画された今回の講演の使命を、強く感じました。会場では、洋野町役場主催の、おもかげ復元師の震災絵日記パネル展を開催して下さいました。


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何度かお問い合わせをいただきながら、スケジュールが合わずに伺えなかったため、「二年待ちました。やっと来ていただけて、本当にありがとう。」副町長さんの言葉に、胸が熱くなった時間でした。

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消防、消防団、警察、地域の皆さん含めて700名以上の方がお集まりになられた講演会でした。2時46分、皆さんと心を一つに、皆さんお一人お一人の思いを胸に、1分間の黙祷をさせていただいた「時」を、これからも忘れません。

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サイン会は、少しの時間ではありますが、皆さんとお話をさせていただける大切な時間でもあります。東日本大震災でお身内を亡くされた方々、悲しいけれど自死で姉妹、兄弟、親や子を亡くされた方々、事故で大切な家族を亡くされた方々、町の復興を思い思いに考えている方々、東日本大震災発生後からずっと色んな方々と一生懸命つながっている方々・・・。皆さんの思いを、伺いました。誰でも、誰かとつながっていられることと、誰かに必要としてもらえること、誰かを必要とすることで生きられるのかもしれません。生活が一変するような、そういう悲しみに出会ったときに、少しだけ自分の感情を解放してあげる場所と人が必要なのだと思います。助け合えないかもしれないけれど、支え合うことは出来るし、理解し合えないかもしれないけれど、それを感じ合えることは出来ると思います。そういう、細やかな時間の中で、癒されて、私も生かしてもらっているのだと思いました。皆さんにお会い出来て、本当に嬉しかったです。一生懸命にご縁を下さった、洋野町役場の皆様に心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。