2014年3月12日

東日本大震災から三年、陸前高田市

お昼過ぎに北上市さくらホールのパネル展会場を出発し、陸前高田市に向かいました。

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あの時のまま残る、線路の一部分。あの頃は地元の人たちに「電車は来ないから、一時停止しなくても良いんだよ。」と、声を掛けてもらったことを思い出しました。当時の瓦礫の高さは、ビルの高さに例えると、場所によりますが、2階〜4階くらいの高さまでありました。自衛隊さんが重機などで作ってくれた道を歩きながら、当時は何度も迷子になりました。

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陸前高田市も地盤沈下をしたことと、未来の津波を想定して、かさ上げが行われていました。ご縁のあった多くの方々と深い関わりのある、市民体育館も、高田高校も、高田病院も取り壊されていて、ほぼさら地になっていました。毎年3月11日が来ることは、相当な覚悟がいるものです。みんなと、そう話しながらの昨日の時間でした。でも、その土地に行くということは、悲しいことも沢山あるけれど、亡き人が過ごしていた所だから、会える気がする気持ちがあることも確かです。向かう道の心中は、「会いたい」の気持ちが一番強かったと思います。

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新しい標識が立っていました。乾燥しているこの時期は細かい砂が飛び、そして昨日は相当な冷え込み。さら地になったことで、「山からと、海からの風が直接入って来て体感温度が相当低いんだよ。」と教えてもらいました。

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東日本大震災から三年。陸前高田市で2時46分の黙祷のサイレンと共に、みんなで手を合わせました。

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昨日は、本当にたくさんの皆さんとお会いして、様々なお話を一緒にさせていただき、一緒に悩んだり、考えたり、何も考えずに時々一緒にぼーっとしたり、皆さんそれぞれの、お一人お一人の大切な感情と共に、大事に時間を過ごしました。今、現実を生きる中で、あの時のまま時間が止まっている方も居れば、進んでいる方も、途中まで進みそこで止まっている方も、いらっしゃいます。みんなそれぞれの理由の中で、今を生きることは変わらない。3月11日の意味と、これからの課題を、ずっと考えていました。答えは悩んだ分だけ、出会った分だけ、再開した時に、その時々の答えが出るものだと思います。もちろん、心の芯は変わらないけれど。