2014年1月29日

成人式おめでとう

今日、陸前高田市出身のI先生から送ってもらった、陸前高田市の町の中の祭壇にある、一枚のお手紙の写真。手紙は、被災して亡くなった同じ年の友達に充てたものの様です。I先生も、昨日陸前高田市に行き、大切な家族を今も捜している。先生が送ってくれた写真のお手紙を読んだ。読みながら、号泣した。復元にご縁をいただいた、あの子たちの名前があった。「成人式おめでとう。」と、お手紙には書いてあった。
色々、知っていることはある。でも、まだ言葉に出して言えないことも山ほどある。思い出して、涙を流すことも実は、今でもある。震災は、自分にとっても、深い傷をのこしていると思う。お手紙の中の、この子の復元直後に、宣承さん(ずっと支えて下さっているお坊さん。)に電話で「どうして、こんなことがあるんでしょうか。どうして、津波が来たんでしょうか。どうして、この子たちが亡くなってしまったのでしょうか。」恥ずかしながら、電話口で号泣してしまった。必死で見た光景を、私は泣きながら、宣承さんに聞いてもらったことがある。しかも、その後にも、何度も。その度に、色々教えていただいた。自分の心に、どんどん入っていく。悲しみがエネルギーに変わった。宣承さんに聞いてもらいながら、自分の今を見た。ご家族と復元の約束もしている。だから、安置所に走りたい。そう思った。「行くなと言っても笹原さんは行くんだから、いってらっしゃい。でも、一人では抱えないこと。いつだってお寺はここにある。僕たちもここにいる。大事に抱えた悲しみを、お寺に預けにおいでね。」そう言っていただいたことを、今日も、思い出した。安心した。「どこじゃなきゃダメなんて、そんなことない。宗派とか関係ない。どこのお寺でも良い。お寺は、そういう役割だから。」宣承さんが、いつもおっしゃる。数日前にお参りに行った、京都の東寺でも「東日本大震災物故者(物故者とは、亡くなった人のこと)」の卒塔婆が本堂にあった。3年近く経っても、お経を上げていただいていることに感銘を受けた。
私は未熟で完璧ではない。だから、現場で人の心に触れる時に、深呼吸をして、一拍置く。悲しい気持ちも、グッと大切に心にしまう。壊れないように、丁寧にしまう。悲しみも、その人が遺してくれたものと、思えるようになった。人の人生に触れさせていただく緊張感を、忘れないようにしている。大切な今を、お一人お一人と共に過ごさせていただいた。
今日は、あの子たちが、成人式を迎えたこと、I先生が送ってくれた写真で気が付いた。又、あの子たちに会えた気がした。胸がグッとなってしまった。会いたいなぁと、空を見ると満天の星空だった。「笹原さん、お祝いちょうだい!」と言われている気がした。明日、川にお菓子を流しに行こうかな。「お菓子かぁ〜!」なんて、言わないよ。あのお利口さんな子たちは(笑)I先生、本当にありがとうね!それから、あの子たちへ「成人式おめでとう!」

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(以下、個人名が載っているので、お手紙の写真は載せられません。ご了承下さい。)
手紙の始まりには、友達の名前と先生の名前が書かれてあり、「元気にしていますか?」から始まっています。文の最後には、始まりと同じく友達の名前と先生、名前が書いてあり、「成人式おめでとう」と締めてあります。内容は、「そちらに行った陸前高田市の市民の皆様に成人式をお祝いしてもらってくださいね。」等書かれていました。
「このお手紙の存在を知ってもらって、亡くなった人に、心を寄せてくれるひとが、また、心を寄せてくれたら、うれしいと思って。
遺された人達にとって、亡くなった人に関係のあるものなら、何でも欲すると思うし、たとえどんなものでも受け入れられると思う。」I先生の言葉です。