2014年1月26日

社会福祉法人嵐山寮様企画セミナー

京都の会場にて、介護職の皆様に向けて、三時間の講演をさせていただきました。現場の中から、様々にお伝えしました。
マザーテレサの言葉に
「どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ一つ一つのことに心を込められたのか」
という有名な言葉があります。この言葉から現場を考えると、「どれだけ時間を掛けたのかと言うことよりも、どれだけ心を掛けられたのか」が如何に大切かが見えてくると思います。「時間が無いから」は理由にならず、環境のせいにしてしまっていること。時間があっても出来なかったら、今度は「物が揃わないから」など、幾つでも出来ない理由は探せます。分かってますよ、現場は、どの職種も大変なものです。時間は、追われるものではなくて、迎えるものだというのは、あくまでも私観ではあるけれど、時間も「いただくもの」だと思って大切に出来るといいですね。だから、その出来ない理由を探すためのエネルギーよりも、「今の限られた時間の中で、現在の状況にとって必要なこと」を考え、理解するエネルギーに代えることが出来れば、環境を観察して、自分の立ち位置も把握し、相手の気持ちも感じようとする視点に立てます。必要なものが見えてきて、色んなことに気が付く時間を迎えます。そして、「死」は終わりを意味するものではなく、遺された人に「生きる」こと、その意味を、過ごした大切な時間の想い出の中から、教えてくれる存在だと思います。プロと言う立ち位置の、私が思う本物の人は、色んな視点から物事を考えられる人だと思います。介護職の皆さんも又、色んな視点から物事を考えるお仕事でいらっしゃいます。その環境は、関わる人たちにその存在から大きく影響を与えるお仕事です。「利用者さんから学びも多く、現場でたくさんのことを教えてもらっている。」と、お話ししていらっしゃいました。素敵だなぁ、と、思いました。以下のこのことも又、皆さん、よく分かっている。目の前に見えていることも大切な情報かもしれないけれど、そこで評価を終わらせるのではなくて、表に見えていないところの情報は、実はもっと大事なので、それを「知る」ことよりも「感じられるか」は、私の現場も同じなんです。と、お伝えしました。「悲しみ」もその存在だけ考えるとどうしたら良いか分からないかもしれません。でも、その中に何があるのかを感じようとすると、「悲しみの中に想い出がある」ことに出逢います。大切なことが、悲しみの中にあった。それなら、今、悲しくても良いじゃないかと見守れる。問題は、見守れる度量が自分にどの位あるか、それは毎日積み重ねる努力が必要です。冷静に、自己と向き合う時間。自分が何を培いたいのか。それが、気が付くということ。現場で自分が悲しみを感じた時の、自分との向き合い方等、そのようなお話しを三時間、させていただきました。

20140125-215552.jpg
今日の京都は、一日いっぱい暖かく、なんと椿の花が咲いていました。私たちの生活の中では、気が付かないうちに沢山のプロに支えられていることを改めて意識しました。そして、困った究極の時に、プロにSOSが出せること、そういう環境であること、それも又、意識しました。知っているけど、意識することで、深めていくことが出来ること、今日も学びをいただきました。お世話になりましたメンタルリンクエイド様、蔡社長様、ありがとうございました。