2014年1月19日

福島県の今

ラジオ福島の大和田アナウンサーと、先日お電話で、お話をさせていただきました。福島県は全国平均から見ても圧倒的に看護職の人数が足りず、現在通常の3倍から4倍の仕事量をこなしているのだと言うお話しから始まった、大和田アナウンサーとのお話し。その状況の中で、東日本大震災で目の前でお父さんを亡くした福島県の女の子が、「人を助けたい」と、看護師を目指すことを決めたと教えてもらいました。「2日間泣いて、もう泣かないって決めました。そんなことしてたら、お父さんが一番悲しむかもしれないから。」彼女は、大和田アナウンサーに、そう話してくれたそうです。「可愛い子なんですよ。」そう、お話をされていました。現在も警戒区域の小学校があり、子どもたちは助かったけれど、ほとんどの子どもは家族を亡くしています。「助かって良かったね。」という言葉が一番嫌いだと、今は中学生になった子どもたちが、大和田さんにはなしてくれるのだそうです。大和田さんと福島県内をご一緒させていただくと、町の皆さんが大和田さんを見付けて駆け寄ってきます。あっという間に大勢の方が大和田さんのまわりに集まります。「ラジオで呼びかけて欲しい。」「こういうことがあって、大和田さん、どう思う?」等々、多くの相談が寄せられていました。まだまだ子どもさんを家族を捜している親御さんは御家族は、岩手県、宮城県、福島県もたくさんいらっしゃいます。警察が、捜索をずっと続けてくれていることが、みんなの心を支えてくれています。雪がとけたら、ラジオ福島さんにお邪魔させていただくことをお約束して、電話を切りました。東日本大震災は終わっていない、終わらない。それはきっと、阪神淡路大震災も、戦争も、「あの日を忘れない」と思うことは「大切な家族を忘れない」という意味が含まれていることもあり、経験したことと共に生きると決めた人たちが、そう口にされることも多くあります。もちろん人それぞれですので、あの時のまま止まっている方もいらっしゃいます。みんな、それぞれのペースで生きて、そしてそこから語り継ぐこと、思い続けること、そのことに対して、今多くの子どもさんたちが立ち上がり始めました。大人である私達も精一杯頑張らなくちゃ、と福島県のラジオ福島の大和田アナウンサーと話して、強く思いました。