2014年1月6日

生きているのは、人だけじゃないから

「この子を見てやってください。」と、納棺の現場でお年寄りに声を掛けられた。自宅納棺で、古いしきたりに則りながら粛々と終えた。それはそれは、立派な古民家でした。「この家は、とっても冷え込むんだよ。」と、お年寄りが言った。連れて行かれた部屋は、お勝手の手前にあるお部屋で、大切に保管してある箱を見せられた。箱を覗くと、大きな亀が居た。「じいさんが死んじゃって、私はさみしいなぁと思いながらね、あ、そうだ!バタバタしていて、しばらく留守にしていたからと、亀に餌をやらなきゃと思ってね・・・。」亀を見たら、全然動かなくなっていて、亀まで死んじゃ嫌だと思って、熱湯をかけても全然動かなくなったと、おっしゃった。(ね、熱湯⁉︎)と思ったものの、それは口に出さず、(冬眠してたんだろうなぁ。)と思っても恥をかかせてしまうかもしれないので、口に出さず、「冬は、いつもこんな感じではないですか?」と伺うと、「ん、覚えていないの。」と、おっしゃる。10年位前にも、古民家の葬家で同じようなことがあったことを思い出しつつ、「春になったら目を覚ます動物たちも居ますから、春まで待ってみましょうか?」と、お話をした。亀の脈をどう取るのか、私には分からなかったけど、何だが生きている感じがしたので、(熱湯と言うとグツグツしたお湯を想像したけれど、そんなに熱くなかったのかな?)「春にまた、会いにくるので、その時また、亀に会わせてくださいね。」と、一件落着。納棺の時間は、もちろん納棺のスキルと冷静な決断と、状況判断等々も大切だけど、けっこうそれ以外のことも実に多くて、納棺以外にお世話をさせていただく、本当に様々な内容も多くあります。人生という真っ只中に居るからこそ、それもきっと、故人がご家族に遺されたことだと思うので、多少の出来ることに限らせてはいただきながらですが、ご家族が安心されるまで、「帰っても、大丈夫かな?」と思えるその時まで、限られた時間ではありますが、お傍に居させていただきます。人は一人では生きられません。私もそうやって、生きて来られたと思っています。嬉しいこと、心強いこと、良いことだって、みんな生きているんじゃないかと思うので、どんどん回す。次の人へ、次の人へと生きていてもらいたい。そう思っています。